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榮屋本舗エルメネジルド・ゼニア素材研究所

ゼニアの歴史(2)発展

エルメネジルド・ゼニアエルメネジルド・ゼニア社が世界各地で展開する店舗は555店舗(直営店311店舗を含む)。80以上の国と地域に販売拠点を持ち大規模経営を行うゼニアですが、その経営は親から子へ、子から孫へと承継されており、家族経営を基本としています。

エルメネジルド・ゼニアという偉大な創業者の跡を引き継いだ彼の子どもや孫は、どのようにエルメネジルド・ゼニア社を発展させていったのでしょうか。

1960年代、創業者エルメネジルド・ゼニアの息子アンジェロとアルドが、ゼニアの経営を担うことになりました。

ゼニア社のトップとなったアンジェロとアルドは、自社で取り扱う商品の幅を広げることで、経営の多角化を図りました。

また2人は、ファッションの街として知られるイタリア・ミラノ近郊の街ノヴァーラに新しい工場を創設しました。ノヴァーラという街の知名度はそれほど高くありませんが、ミラノとの距離が約38kmと、東京―千葉間(直線距離で約34km)とほぼ同じ程度の近距離のため、経済的にも強く結びついています。

ノヴァーラの新しい工場で生産されたのは、スーツ、ジャケット、コート、シャツやパンツといったコレクションです。ゼニアの生地メーカーとしての評価がもともと高かったこともあり、これらのコレクションはまたたく間に評判となりました。

ゼニアショップ国内で高い評価を得たゼニアのコレクション。次に2人が決めたのは、コレクションの国外での販売でした。初の国外の店舗がスペインとスイスに置かれたのを皮切りに、ゼニアは世界中に販売拠点を増やしていきます。 さらにゼニアでは、スポーツウェアやアクセサリーなど取り扱い商品の幅を広げ、1972年にはパターンオーダー(スミズーラ)もスタートさせました。

このように、アンジェロとアルドという2人のトップのもと、原毛の独自仕入れ・紡績・生地の生産までの一貫管理、さらにその生地を用いてプレタポルテ(既製服)とパターンオーダー(スミズーラ)の事業を展開する、という現在のゼニア社のスタイルがほぼ出来上がりました。この2人の時代には、生産ルート・販売ルートともに世界的な規模となり、ミラノやパリには初のゼニア単独のブランド店も作られています。

創業者の息子2人により世界的に発展したゼニア社の事業を引き継いだのは、創業者の孫、すなわち現在の経営陣です。

エルメネジルド・ゼニアの孫世代が現在注力しているのは、世界中に生産・販売ルートを持つゼニアのさらなるネットワークの強化。中でも、小売事業には重点を置いています。

近年そのめざましい市場の成長で注目されるBRICs諸国(ブラジル・ロシア・インド・中国)にも、ゼニアは他のラグジュアリーブランドに先駆けて進出しました。特に中国は潜在的な巨大市場を持つ国として重視しており、1991年の直営店開設以降、現在では中国国内の店舗は70店舗を超えるまでになっています。今や、ゼニアにとって中国は最大の市場国の1つになったと言えるでしょう。

また、エルメネジルド・ゼニアの子どもの時代に始まった経営の多角化は、孫の時代にはさらに強化されています。

現在のゼニアが、スーツのみならず、ベルト、シューズ、ネクタイ、財布(各ページにリンク)などさまざまな製品を取り扱っていることは、この研究室のレポートにもある通りです。しかし、こうした個々のファッション小物において「原料の仕入れから生産に至るまでを自社で一貫して行う」というゼニア社の方針を貫くのは、決して簡単なことではありません。

そのため、ゼニアでは近年、買収に力を入れています。2002年に、高級レザーアパレルメーカー「ロンギ」のブランドを取得したのもその一例です。また同年の後半には、サルヴァトーレ・フェラガモ社との共同出資で合弁会社「ゼフェル」を設立、シューズ&レザーアクセサリーの生産・販売を世界的規模にまで拡大させました。

またゼニア社では、一部商品に関して、他社の製品に「エルメネジルド・ゼニア」のブランド名を使う許可を与えるライセンス契約を結んでいます。たとえば、イヴ・サンローラン・ボーテ社とのライセンス契約を交わしたことにより、エルメネジルド・ゼニアの名を冠した「エッセンツァ・ ディ・ ゼニア」「ジー・ゼニア」「ゼニア・コロニア」などの香水が生まれました。サングラスやメガネフレームなどのアイウェアについては、イタリアのデ・リーゴ社とライセンス契約を交わして生産・販売を展開。さらにイタリアのペロフィル社とのライセンス契約により、下着の商品展開を行っています。

今や世界に名だたるラグジュアリーブランドとなったエルメネジルド・ゼニア。製品の品質へのこだわりはもちろんのこと、販売を行う店舗においても、ゼニアのブランドイメージを重視した空間設計が施されています。

ゼニアにとって販売店舗は、エルメネジルド・ゼニアの世界を顧客に提供し堪能してもらうための場所。そのため、ブランドイメージの表現を得意とする建築家であるピーター・マリノに、世界各地のグローバルストア(その国の販売拠点として位置づけられる大規模店舗)のデザインを依頼しました。シャネルなど多くのラグジュアリーブランドの店舗をデザインしてきた実績を持つマリノの手により、それらの店舗は外観やインテリアからもゼニアのブランドイメージが感じ取れる空間となっています。

環境保護活動ここまで、創業者エルメネジルド・ゼニアから子や孫の世代に承継された事業の経緯について紹介してきました。最後に、彼が事業とともにもうひとつ進めていた「地域貢献」のその後について、触れておきます。

前にお話したとおり、エルメネジルド・ゼニアは、「トリヴェロの自然を守り地域住民と折り合っていくことが、この街で生地作りを続ける上で大切なこと」と考えていました(前回、制作したページにリンク)。トリヴェロと近隣のスキーリゾート地ビエルモンテを結ぶ「パノラミカ・ゼニア」についても先述しましたが、この道路は彼の息子の代に完成しています。このことでも、地域貢献に対する創業者の志が次世代に受け継がれていることがわかります。

孫の世代、すなわち現在の経営陣もまた、地域貢献に力を注いでいます。1993年には、トリヴェロの環境保全の一環として自然公園を作り、「オアジ・ゼニア(ゼニアのオアシス)」と名付けました。また、2000年にはゼニア財団を設立、世界各地で人道支援プログラムの企画・サポートを進めています。一例を挙げると、ペルーのピコタニ地域で、井戸、ダム、10Kmを超える水路を含む水供給施設を開発しました。これにより、周囲に生息するビキューナと、その生産者がともに厳しい冬場の乾燥から守られ、地域に暮らす人々が継続的にビキューナ生産を続けることができるようになりました。また、2011年に日本で東日本大震災が起こった時には、ゼニア財団からの1,000万円の義捐金が寄付されました。

ゼニア一族は、環境保護や地域貢献なども、企業の発展や製品の品質向上につながる活動の一環として位置づけています。創業者の理念や経営方針に則ったこの種の活動を続けていくには、こうした貢献活動を身近で見ながら育ってきた者の存在、すなわち創業者の子どもの存在が必要とも考えられます。ここにも、大規模企業であるゼニア社がファミリー企業の形態を保っている理由があるのかもしれません。

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